親を切ると書いて『親切』
先日新聞のある本の広告の文章で気になるフレーズがありました。「自分らしく生きようと思えば親を切ることが親切。」だったかな?そんな感じの文章です。おそらくこの著者は「子供の負担になりたくない」という一般的な親心を言われているのかも知れません。
本来の親切の語源は、「親」とは木の上に立って去っていく子供の無事をいつまでも見ている姿。「切」とは切なる思いで子供の無事と幸せを祈っている親の姿。と国語で習ったような覚えがあります。ウチの母親もまさにこの語源通りの母親です。子供がおじさんになっても変わらないみたいです。
母は2度小脳と大脳の脳梗塞を発症し入院しましたが、驚異的な回復力で母親としての仕事を続けようとしてくれています。脳幹にかかるくらいに小脳の脳梗塞が広かったために時々脳がオーバーヒートを起こすようです。頭が大きくなり耳鳴り、頭鳴りがあり横になります。そのたびに脳脊髄液の滞留を下げて頭蓋骨を調整しています。今思えば母親がこうして脳梗塞になり体調を壊してまで私の整体技術をレベルアップするお手伝いをしてくれている気がしてならないのです。
後遺症で自分の事が出来なくなるまでのレベルではなく、絶妙な状態なのです。母親のおかげで色々な体の発見があったりテクニックを開発できて来ました。また介護保険のお世話にもならず、お客様が来ればお茶出し接待ばあやとして働いてくれて癒しの空間を作り出してくれています。食事の支度もできる範囲でやってもらっています。
先日は庭の草を引いていたら、ものすごい音がしたのであわてて家に入ると椅子ごと後ろにひっくりかえって化粧品が散乱していました。その後は地元の盆踊りの手伝いから帰ってみると熱いお茶が右腕にかかり大やけどをしていました。往復2時間の道のりを何度も皮膚科に連れていく事になりました。油断がならないのです。
整体技術を磨くためには色々なセミナーに出て勉強を続けて行く必要があります。しかしなかなか心配で家を空ける気になりにくいです。
子供の頃に読んだ芥川龍之介の「杜子春」の物語。うろ覚えですが、確かこんな話でした。
「仙人になりたくて修業を続ける杜子春は最後の仙人卒業試験で地獄にいた。目の前には牛に姿を変えられた両親が地獄の鬼に責められていた。肉は避け骨が見えるほどに。師匠に一言も話してはいけないと言われていたにも関わらず、「おかあさん!」と叫んでしまったのは、牛に姿を変えられてしまったお母さんの一言でした。「私はどうなってもいいから、あなたは自分の進みたい道を行きなさい。」
子供の頃の私は大泣きして最後にホットしてそして少しばかりのほろ苦さを感じたものでした。
本来の親切の語源は、「親」とは木の上に立って去っていく子供の無事をいつまでも見ている姿。「切」とは切なる思いで子供の無事と幸せを祈っている親の姿。と国語で習ったような覚えがあります。ウチの母親もまさにこの語源通りの母親です。子供がおじさんになっても変わらないみたいです。
母は2度小脳と大脳の脳梗塞を発症し入院しましたが、驚異的な回復力で母親としての仕事を続けようとしてくれています。脳幹にかかるくらいに小脳の脳梗塞が広かったために時々脳がオーバーヒートを起こすようです。頭が大きくなり耳鳴り、頭鳴りがあり横になります。そのたびに脳脊髄液の滞留を下げて頭蓋骨を調整しています。今思えば母親がこうして脳梗塞になり体調を壊してまで私の整体技術をレベルアップするお手伝いをしてくれている気がしてならないのです。
後遺症で自分の事が出来なくなるまでのレベルではなく、絶妙な状態なのです。母親のおかげで色々な体の発見があったりテクニックを開発できて来ました。また介護保険のお世話にもならず、お客様が来ればお茶出し接待ばあやとして働いてくれて癒しの空間を作り出してくれています。食事の支度もできる範囲でやってもらっています。
先日は庭の草を引いていたら、ものすごい音がしたのであわてて家に入ると椅子ごと後ろにひっくりかえって化粧品が散乱していました。その後は地元の盆踊りの手伝いから帰ってみると熱いお茶が右腕にかかり大やけどをしていました。往復2時間の道のりを何度も皮膚科に連れていく事になりました。油断がならないのです。
整体技術を磨くためには色々なセミナーに出て勉強を続けて行く必要があります。しかしなかなか心配で家を空ける気になりにくいです。
子供の頃に読んだ芥川龍之介の「杜子春」の物語。うろ覚えですが、確かこんな話でした。
「仙人になりたくて修業を続ける杜子春は最後の仙人卒業試験で地獄にいた。目の前には牛に姿を変えられた両親が地獄の鬼に責められていた。肉は避け骨が見えるほどに。師匠に一言も話してはいけないと言われていたにも関わらず、「おかあさん!」と叫んでしまったのは、牛に姿を変えられてしまったお母さんの一言でした。「私はどうなってもいいから、あなたは自分の進みたい道を行きなさい。」
子供の頃の私は大泣きして最後にホットしてそして少しばかりのほろ苦さを感じたものでした。
スポンサーサイト